筆者が10代の頃から10年以上も応援し続けているスリーピースロックバンドの『CIVILIAN』
改名前の『Lyu:Lyu』というバンド名で活動していた頃にリリースした音源の再現ツアーが開催されており、宇都宮と東京ファイナルの2公演に参戦してきました。

今回は、最終公演で印象に残ったことや、改めて感じた楽曲に対する感想などを書いていきたいと思います。
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特に印象に残った楽曲3選
まずは、今回のファイナルに参戦して、特に印象深かった3曲について、改めて考えたことを書いてみたいと思います。
君から電話が来たよ
『Lyu:Lyu』時代唯一のフルアルバム『君と僕と世界の心的ジスキネジア』に収録されている楽曲で、どこか懐かしさと哀愁を感じるサウンドと、暗い歌詞が印象的な楽曲です。
生まれたときは誰もが 白地図を握り締めていて
みるみる自分の手垢で汚れて 本当の色を忘れていく
【引用】君から電話が来たよ/Lyu:Lyu
私事ですが、現在、自己理解を進めている関係で、自分と向き合うことに関する書籍を読むことが多く、その中で学んだことなのですが、人間って誰でも、もともとは個性があったはずなんですよね。
ただ、歳を重ねていく中で、親や先生、友人などの周りの人たちと関わることで、
自分とは異なる価値観や考え方に触れたり、自分の個性や価値観、考え方を否定されることを経験していくことで、
自分の気持ちに蓋をしてしまったり、「自分の感情よりも頭で考えて生きていくこと」を覚えて、周りとうまく生きていくための手段として、「染まる」こと選択して生きていく。
そうすることで、いつの間にか自分の本心だったり、個性を忘れていってしまう、分からなくなってしまう。
筆者自身も思い当たる節が多くあり、今の生き方は「頭>感情(心)」となっているという自覚があり、周りに染まって生きていたり、自分自身のことが分からなくなることがよくあると感じています。
この楽曲では、もともとは確かにあった自分という「白地図」が、生きていく中で周りの影響を受けて、自分の手に垢がつく。
その「手垢」で自分の「白地図」が汚れていく=「他人の影響でみるみる自分が分からなくなってしまう状態」を表現されている楽曲なんだなと感じました。
ディストーテッド・アガペー
シングル『ディストーテッド・アガペー』A面曲であり、6分を超えるミドルテンポのバラードの楽曲
スリーピースでこの長い曲を表現できる演奏力と、ドラマチックな曲の展開はすごいなと思います。
『Lyu:Lyu』時代では一番長尺の楽曲と思いきや、もっと長い曲がありました。笑

一番長尺なのは、「心臓」という楽曲です!(多分)
この時期に『Vo./Gt.コヤマさん』がこの楽曲を題材にした連載小説を書いており、この楽曲を題材にしたライブも開催され、映像化もされています。

MVで流れている文字が小説の内容になっています!
誰も代わりに許してはやれないよ
君を許せるのは そう 君しかいない
【引用】ディストーテッド・アガペー/Lyu:Lyu
『コヤマさん』は「許す」という言葉で表現されていますが、筆者としては、これは「認める」の方が今の自分には近しい感覚だと思いました。
社会に出ると、学校ではテスト、会社では評価など、
どうしても他人と比較をすること、他人に評価をされることが多く、
「誰かに認められる」「誰かに評価される」ことを求めてしまいがちだと感じます。
ただ、それはどこまでいっても、「他人に自分を握られている状態」になっていますし、「他人の評価=自分の満足」には決してつながらないと思うんですよね。
自分の評価だったり、自分の変化や成長していくことについて、
そもそも他の誰かに「許し」や「認めて」もらう必要はなくて、
「他人にどう思われるか」ということはコントロールできないことなので、自分が望むように他人に認めてもらうことは難しいとも思います。
そのため、自分の評価や、認めることは、他の誰かに求めるのではなく、他の誰でもない自分自身が、自分のことを一番認めてあげるべき。
ということを伝えている楽曲だと感じました。
メシア
4thミニアルバム『GLORIA QUALIA』に収録されている『Lyu:Lyu』時代を代表するロックバラードな楽曲
『メシア』がリリースされるまでは、近しい雰囲気の『文学少年の憂鬱』が『Lyu:Lyu』の代表曲の位置付けだったと思いますが、今となっては『Lyu:Lyu』といえばこの楽曲というイメージです。
記憶の中の子供に問う「ちゃんと仲良くできてましたか」
よく似た顔の子供は笑って『それはあなたがよく知ってるでしょ』そりゃそうなんだよな 確かにさ でも分かんなくなっちゃったんだよ
なぁ どうしてそんなにさ 楽しそうに笑えるんだい
まだ間に合うかな 取り戻せるかな
【引用】メシア/Lyu:Lyu
この曲で表現されている「記憶の中の子供」=「自分自身の幼少期」のことだと思っています。
前項で書いた『君から電話が来たよ』と近しい考えになってしまいますが、幼少期には確かに自分があって、自分らしく振る舞って生きていて、人との関係がありつつも、確かに自分は心の底から笑えてたはず。
ただ、歳をとって、色々な人や色々なことに触れて、知って、人との関係や影響でどんどん自分自身が変わっていく。染まっていく。
そうして、「自分自身を抑圧する生き方」を身につけて、なんとか生きている。
でもそれは、心の底から望んでいる生き方ではなくて、本当の自分が覆い隠されてしまって感情を表現することが難しくなってしまった。
そして、心の底から笑ったり泣いたりできなくなってしまった。
「子供の頃には確かにあった感覚だったり、子供の頃のように感情を豊かに表現できる状態を取り戻したい」
という気持ちを表現した楽曲だと感じました。
MCで話していた「変革」について
『CIVILIAN』は、2016年に『Lyu:Lyu』から『CIVILIAN』に改名して、その後メジャーデビューをしています。
今回のライブ終盤のMCで、『コヤマさん』が改名の時期からメジャーデビューにかけて、「変革」を意識して活動していたことを話されていました。
筆者自身も改名後の『CIVILIAN』については、楽曲にストリングスが増え、ライブでは同期を用いることで、表現の幅が広がったり、
『生者の行進』という楽曲をリリースした際には、初めて明確にポジティブなことを表現した楽曲だと衝撃を受け、それまでの『コヤマさん』だったら絶対に書かないような歌詞だなと感じていました。
そういった試みが変革だったんだなと思います。
バンド界隈ではよく言われる「メジャーにいったらバンドは変わってしまう」という風潮と同じく、メジャーにいくことで、より多くの人に聴いてもらえる可能性が広がる反面、
売れることだったり、外からの要求に応えていく使命を背負ったりと、バンドとしても『コヤマさん』自身としても、外側からの圧力と自分たちの表現に対する葛藤があったんだろうなと思いました。
前項までで書いた楽曲に関する筆者の想いと同様なのですが、本来は自分自身の心だったり、気持ちもちゃんと自分自身が大事にしてあげるということが一番幸せなことなんだと感じました。
細かい点で・・・
細かい点になるのですが、個人的に印象的だった内容を最後に書きたいと思います。
『回転』のラスラビ前のドラムサウンド
3曲目に演奏していた『君と僕と世界の心的ジスキネジア』に収録されている『回転』のラスラビ前
廻る 廻る 僕らの世紀は とっくにもう終わっていたんだ
取り返しがつかなくなって そんなもの渡されたって
【引用】回転/Lyu:Lyu
この場面で、原曲に近く、ドラムにリバーブ?フェーザー?のエフェクトがかかっていて、原曲の雰囲気を追求されているんだなと感じました。
暁のラスサビ前のDr.有田さん立ち上がり
ねえ その手を握って例え君を 傷つけてしまっても
【引用】暁/Lyu:Lyu
今ではお馴染みになっていますが、この楽曲のラスサビ前のギターとボーカルのみになるシーンで、『Dr.有田さん』が立ち上がりリスナーを煽る(?)という光景も目にすることができました。
私が初めてCIVILIAN(Lyu:Lyu)を見たのが、2011年10月21日の千葉LOOKでの公演だったのですが、この時にも『暁』が演奏されており、この頃には既に同様の演出があったと記憶しています。
この光景を目にすることで、そんな懐かしさと、今では恒例となっている「お馴染み」を感じることができました。
気のせいでなければ、コヤマさんがピアスしていなかった
これは私の見ていた場所の関係で見えなかっただけかもしれません。
『コヤマさん』は『CIVILIAN』に改名してからピアスをするようになったと思うんですが、
今回のファイナルではピアスをしていなかったように見えました。
推測ですが、今回のツアーは、「スリーピースバンド 『Lyu:Lyu』として演奏する」と言っていたので、当時に近い装いをする一種の儀式的なものだったのかなと思いました。

見えていないだけだったらすみません・・・。
最後に
今回は『CIVILIAN Lyu:Lyu名義作品完全再現Tour「DOPPELGANGER」』に参戦した感想を書いてみました。
『コヤマさん』が、今回の再現ツアーを通じて楽曲をリリースした時や当時のライブのことを改めて思い出す機会になったと言っていました。
人間って時間とともに成長したり、変化していくもので、それは抗いようがないことだと思いますが、
色々と試行錯誤したり挑戦した結果として、やっぱり原点が一番自分らしい姿に近いもので、周りの人にも一番届くのは、自分らしさが出ていることが重要な要素になっていると感じました。
『プシュケの血の跡』をリリースした際の特典CDの中で『コヤマさん』が言っていましたが、
「その瞬間の自分を切り取って歌にする」と言っていたように、筆者もその時感じた気持ちを何かしらの形に残しておくことで、後から振り返ったり、思い出したりする原点にできるのかなと思いました。
『CIVILIAN』での変革でパワーアップした部分と、原点である『Lyu:Lyu』のエモーショナルな部分を組み合わせて、より進化していくこれからの『CIVILIAN』の活躍を期待しつつ、今後も応援していきたいと思いました!

「アリシアはいつ音源化されるんだろうなー。」と思っていたら、いつの間にか10年以上経っていました。
それでは(「・ω・)「
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